2026-present / Process-based Installation / 水・薄墨・そのほかの自然に消える素材、利き手である左手で鏡文字を書く行為
鏡文字を書いているが、私はこの文字を読めていない。
正確には、ひらがなは読めるが、漢字については「読める漢字」「読めない漢字」がある。
書いているうちに、そのうち読めるようになるだろう。
そう思っていたが、一向にその気配が無い。
それは、①字の意味を考えずに書いている。②見慣れない形
これらによって、視覚としての形と文字の意味が結びつかないのだろう。
文字にはどうやら、二種類あるようだ。
身体の動きに沿った文字と、意味が先行する文字。かな文字のほとんどは身体の動きに沿った文字であるが、漢字については一概に言えない。
漢字の習得には、意味と文字の形が結びつくことが重要だ。視覚情報の記憶と意味付けという要素が入ると、身体の記憶だけの上書きではなくなってくる。
こうなってくると、そもそも始めた「書字の再学習」の目的である、身体の記憶の上書きの着地点をどこにもっていくのか?がポイントになる。
私は当初の予定である「鏡文字をスラスラと書ける」の目標だったが、観察ポイントを2つにわけることにした。
①「左から右」に引き始める線を、迷いなく「右から左」に書けるようになったら、身体の上書きとする。
②文字を書き続けても、文字の表裏の認知が揺らがなくなったら、視覚記憶の定着とする。
すなわち、②を達成することで、表も裏も個別に扱える。書字のバイリンガル化が完成すると仮定することにした。しかし、私はこれまで通り、文字に意味をもたせずに、ただ書くという行為を反復する。(2026.3/5)
